城下町の構造
武家住宅地と寺社地
(『歴史のなかの松本城』P.18・19から)
オレンジが武家住宅地、緑が町人地、濃い緑が寺社地 ※クリックで拡大します
武家住宅地
松本城本丸に天守と御殿を構え、それを内堀が囲み、その外に二の丸を配してここには御殿を2棟と倉庫群を置き、外堀で囲んでいます。その外に高禄を食む武士を住まわせ三の丸として、それを総堀がぐるりと取り囲んでいます。これが城郭の範囲です。
三の丸の中だけに武士の居住区を確保できなかったため、次第に三の丸の外に武家住宅地が広がっていきました。東側の総堀沿いと城下町の北部です。その拡大の様子は城下町の成立の項を参照してください。特に北部に広がった区域は徒士・足軽クラスの武士の住居でした。また、町人地の中にも一部武家住宅地がおかれていた箇所もありました。
寺社地
寺社地は城下町の一番外側に配置されています。『信府統記』によって、寺社地が配されていった様子をみます。
小笠原貞慶の代(1582〜1590)
淨林寺を林村(松本市里山辺)から伊勢町へ移す。生安寺を泥町から本町へ移す。瑞松寺を飯田町から宮村町へ移す。地蔵清水にあった本立寺を上土に移す。
石川数正・康長の代(1590〜1613)
栗林(松本市島立)にあった正行寺を六九に移す。康長の代に六九から下横田町の東へ移す。栗林にあった極楽寺を女鳥羽川の南に移す。
小笠原秀政の代(1613〜1617)
鎌田にあった天神を宮村へ移す。
戸田康長の代(1617〜1633)
御徒士町の南にあった安楽寺を和泉町の東へ移す。
堀田正盛の代(1638〜1642)
上土にあった本立寺を中町東側へ移す。恵光院を建てる。
水野氏の代(1642〜1725)
焼失した極楽寺を本町の東へ移す。
親町三町・枝町十町・二十四小路
町人の居住区域は善光寺街道にそった場所に広がっていました。中心になる本町・中町・東町という3つの町があり、そこに枝のように10の町がつながり、さらに細い小路が24、それぞれの道から出て、道と道をつないでいました。道と道の関係は次の表のようです。
親町 | 枝町 | 小路 | 『信府統記』にある町名 |
---|---|---|---|
本町 | 天神小路 | 天神馬場小路 | |
鍋屋小路 | 鍋屋小路 | ||
生安寺小路 | 玄知小路 | ||
同心小路 | 町同心小路 | ||
博労町 | |||
伊勢町 | 鍛冶小路 | 鍛冶小路 | |
神明小路 | |||
中町 | 新小路 | 新小路 | |
一ツ橋小路 | 一ツ橋小路 | ||
裏小路 | 北側裏通 | ||
神明小路 | |||
本立寺小路 | |||
広福寺小路 | |||
飯田町 | |||
小池町 | |||
宮村町 | 庚申小路 | ||
風呂屋小路 | 風呂屋小路 | ||
源智小路 | 玄知小路 | ||
東町 | 山家小路 | 山家小路 | |
桜河岸小路 | |||
正行寺小路 | 正行寺小路 | ||
塩屋小路 | 塩屋小路 | ||
二ツ井戸小路 | 二ツ井戸小路 | ||
作左衛門小路 | 作左衛門小路 | ||
馬出シ小路 | |||
和泉町 | 長称寺小路 | 長称寺小路 | |
観音小路 | 同心町 二王小路 | ||
前栽小路 | |||
安原町 | 常法寺小路 | 常法寺小路 | |
上横田町 | 裏町 | ||
下横田町 | 裏町 | ||
山家小路 | 紺屋町 鍛治町 |