松本城下の各町
町名の由来
町名にはいろいろないわれが説かれていますので、ここでは江戸時代にどのように記されていたかを紹介します。出典は寛文9年の「松本記」(『松本市史』第4巻Ⅰ所収)です。
本町・中町・東町
土地柄で有り体のところから付いた。(一番中心の街で本町、真ん中にあるので中町、東にあるので東町とついたという意味)
伊勢町(いせまち)
昔は西にあるので西口といった。土地替えがあった時に移ってきた人が伊勢大神宮を勧請してきたところからこの名に替わった。
博労町(ばくろうまち)
昔は貢馬を集めておいた。博労衆が住み馬市も立ったところから付いた。
飯田町(いいだまち)
小笠原秀政公が飯田より松本へ来たとき、侍衆を住まわせたり慕ってついてきた職人衆を住まわせたりしたところから付いた。
小池町(こいけまち)
小笠原氏の家来に軍法・兵法の達人の小池甚之丞という侍がいてその住居があったことから付いた。
宮村町(みやむらまち)
庄内本村があった。そこに諏訪大明神を勧請した。そこで宮村の名が町名になった。
和泉町(いずみまち)
小笠原氏の家臣の倉科和泉がこの地を貰って住んだことから付いた。
安原町(やすはらまち)
古い地名が安佐端野原(あさばのはら)であったところから首尾の2字を取った。
横田町(よこたまち)
横田村から引っ越してきた人たちが住んだことから付いた。
山家小路(やまべこうじ)
山家の村々からの通路で道幅が狭かったところから小路と付いた。
富坂町(とみさかまち)
水野公の時、鷹匠の富坂氏と餌差衆が住んだことから付いた。
小川町(おがわまち)
水野公の時、鷹匠の小川氏がすんだことから付いた。
武家住宅地の町名の由来
これだけでは、武家住宅地の町名の説明がないので、昭和8年版『松本市史』から武家住宅地の地名を要約して紹介します。
大名町(だいみょうちょう)
高禄の藩士が居住していたことから付いた。
柳町(やなぎまち)
昔、泥町といい、柳の木が多かった。
地蔵清水(じぞうしみず)
往古から清き水が湧き出ていて泥町に生安寺があったころ、石地蔵がたっていたことから付いた。
土井尻(どいじり)
堀の水が落ちる尻であったことから付いた。
葵馬場(あおいのばば)
馬場の土手に葵を植えたことか付いた。
六九(ろっく)
54疋立の厩を造ったことから付いた。
上土(あげつち)
堀の土を上げた所であったことから付いた。
片端(かたは)
総堀に面した片側の町であるところから付いた。
出居番(でいばん)
口(くち)番所や筏番所へ詰番に出る仕事をしていた人たちが住んでいた。
袋町(ふくろまち)
南に入り口があるが北に出口がないことから付いた。
新町(しんまち)
松平氏の代に新しくできた町から付いた。
田町(たまち)
田圃のあるところにつくられたところから付いた。
上・下馬出(かみ・しもうまだし)
馬出しから東町へ通じる道。
鷹匠町(たかじょうまち)
鷹を飼うことを職にした武士の家があったことから付いた。
御旗町(はたまち)
町の形が旗の形をしていたところから付いた。
御堂町(どうまち)
妙光寺という寺があったことによる。
口張町(こうばりまち)
当初紅梅の木があったことによる。
天白町(てんぱくちょう)
天白神社があることから付いた。
萩町(はぎまち)
善光寺街道との境に萩垣をつくって区別してあったことから付いた。
地名の由来は、ここに紹介した以外の説もあります。また、ここに載せなかった町名の記載もあります。それらを調べるには昭和8年版『松本市史』下や『信濃・松本平の民俗と信仰』(田中磐 昭和39年)『松本の町名 松本市住居表示の記録』(昭和44年)が参考になります。また、実際に街内を歩くと、各所に町名の由来を記した石柱が建てられています。
町名碑の銘文は松本市公式ホームページに掲載されている「旧町名標識一覧表」でご覧いただけます。