松本城特別解説

*:;;;:* ようこそ国宝松本城ぺ。+☆+。゚+*:;;;:*:;;;:*゚

黒と白が美しいコントラストの天守


松本城の特徴は「漆黒(しっこく)の城」です。これは、下見板に黒漆(うるし)を塗っているからです。漆喰壁(しっくいかべ)が雨でぬれてしまうと崩れてしまうため、板をはり、防水効果のある漆を塗りました。また、これは豊臣秀吉の趣向を反映させたためと言われています。秀吉は金箔(きんぱく)を貼った瓦や破風(はふ)の飾りで城を目立たせました。金を映えさせるため、城を黒くしたと考えられています。対照的に徳川家康は白壁による「白亜(はくあ)の城」を築かせたので、徳川方の城は、姫路城のような白が美しい天守となりました。

 

天守の防備


○石垣のすぐ上に石落(いしおとし)
石垣をのぼってくる敵兵を攻撃するために、石垣の上部に石落が張り出しています。松本城天守では11ヶ所設置されています。天守1階内部では上からのぞいてみることができます。
○壁にある小穴は鉄砲狭間(てっぽうざま)
下見板にあけられている小穴から鉄砲や弓で敵兵を攻撃しました。外から見ると小穴ですが中からは意外と外が見渡せます。
○3番目の屋根についている三角形は千鳥破風(ちどりはふ)
城の形を美しく見せている飾りですが、5階に登って内側からみると、銃で外を狙えるようになっています。物見の役目もしました。

松本城の特徴は「漆黒(しっこく)の城」です。これは、下見板に黒漆(うるし)を塗っているからです。漆喰壁(しっくいかべ)が雨でぬれてしまうと崩れてしまうため、板をはり、防水効果のある漆を塗りました。また、これは豊臣秀吉の趣向を反映させたためと言われています。秀吉は金箔(きんぱく)を貼った瓦や破風(はふ)の飾りで城を目立たせました。金を映えさせるため、城を黒くしたと考えられています。対照的に徳川家康は白壁による「白亜(はくあ)の城」を築かせたので、徳川方の城は、姫路城のような白が美しい天守となりました。

松本城の数字あれこれ


松本城天守の重さは約千㌧と推計されています。瓦は1枚3kgで84,672枚あります。それらを支えているのが天守台です。自然にある石をあまり手を加えず積み上げています。この積み方を「野面(のづら)積(づ)み」といいます。石同士を組み合わせて積むと、石がかみ合い強固な力を発揮します。また天守台の内部には16本の土台(どだい)支持柱(しじばしら)も埋め込まれていました。松本城が崩れずに残ったのは、これら「縁の下の力持ち」のおかげともいえるでしょう。

松本城歴代城主  松本城築城以降明治維新まで、6家23代の城主がいました。

 

松本城内部の見どころ

大天守2階には、松本出身の赤羽通重・か代子夫妻が収集し、市に寄贈された鉄砲類の展示場「松本城鉄砲蔵」があります。珍しい鉄砲や甲冑(かっちゅう)、鉄砲の変遷やカラクリの説明など充実した展示を見ることができます。同時に壁側にある鉄砲狭間(さま)・矢狭間から、鉄砲を撃つ様子を想像してみてください。

大天守は外から見ると五層(重)ですが、内部に入ると6階建てになっていることに気づきます。これは下から2番目の屋根が3階部分の周りにつくられているためです。外から見えない安全な場所なので、倉庫や武者だまりとして使われました。

4階から5階にかけての階段は最も急こう配で、最高61度の傾斜があります。敵が侵入した時に登りにくいように、と思われがちですが、天井が高くなるほど傾斜が急になるため、このような急な階段になっています。
交互通行です。ゆずりあって上り下りしてください。特に下りにお気を付けください。

最後の行程、月見(つきみ)櫓(やぐら)に移ると趣が一変します。それまでは窓が小さく閉鎖的な空間であったのに対し、月見櫓は舞(まい)良(ら)戸(ど)を外すと三方が開ける、開放的な空間になっています。洒落(しゃれ)た朱色の回(かい)縁(えん)も付けられており、平和な時代になってから増築された建物です。

 

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