松本城伝説

牛つなぎ石伝説

松本市本町2丁目(現在中央2丁目)の交差点の角に、高さ7080cmの石があります。この石は、牛つなぎ石と呼ばれています。
牛つなぎ石は、牛をつなぐものではありませんでした。城下町の道が整えられた時、本町と伊勢町が交わる辻に「市辻」いちのつじから移された道祖神(道を行く人を守る神様)でした。同じ「市辻」から市神いちがみ(えびす様)も移され、その辻で正月1011日に塩が売られました。ここから「塩市」が始まりました。江戸時代初めの頃です。

その後、次のような話が松本に入ってきます。
「武田信玄は、駿河するが(静岡県)の今川氏・相模さがみ(神奈川県)の北条氏と敵対していました。今川氏は北条氏と協力して、武田氏の領地である甲斐かい(山梨県)と信濃(長野県)の南部と中部に、塩を送らないようにしました。海のない甲斐や信濃では、塩は取れません。苦しんだのは、農民や町人でした。その様子をみた越後えちご(新潟県)の上杉謙信は、武田氏とは敵であったにもかかわらず、糸魚川から人々を救うための塩をたくさん送りました。」

この話が松本に入ってくると、上杉謙信が送ったことが、「塩市」の始まりだと言われるようになり、道祖神が、塩を運んだ牛をつないだ石だと言われるようになりました。江戸も後期になってからです。

明治の末になって、塩の入った俵の形をした飴を神様にそなえたり、縁起物としてその飴やダルマを人びとに売ったりしたので、「塩市」から「飴市」へと名前が変わっていきました。それが今も続けられ、賑わいをみせています。